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僧兵  その1

織田信長が比叡山焼き討ち元亀2年(1571年)を行った3年前の永禄11年(1568年)に、織田信長の命を受けた滝川一益の軍勢が三岳寺に押し寄せ、数百の僧兵が勇敢に戦いました。その僧兵は、日本の古代後期から中世近世初頭にかけて存在した僧の形をした武者のことです。

僧兵の成り立ち

僧兵は、京都・奈良の大寺院の雑役に服する僧侶身分の大衆(堂衆とも呼ぶ)が自衛武装したものを僧兵といいます。法師武者もしくは、武装した僧侶を僧衆、悪僧とも同じ時代でいいますが、それを江戸時代以降には「僧兵」と呼称した言葉です。

ちなみに悪僧の「悪」は悪党の悪と同じで「強い」という意味合いです。主に寺社勢力に所属する武装集団です。その風貌は絵巻物などに描かれています。裹頭(かとう〈頭を包む布〉)や、高下駄、薙刀(なぎなた)などが特徴とされています。おそらく髪は剃っていなかった可能性が高いといわれています。

これに対して、神社に所属する武装集団を神人(じにん)といいます。日本以外にも嵩山少林寺(※)のように、僧兵として武装集団を組織する仏教僧の集団がいるので、広い意味合いとしては、武装した宗教集団を指すこともあるといえるでしょう。その場合には、ヨーロッパの騎士修道会(※2)も含まれることがあります。

僧兵や神人が活躍した時代は、社会が乱れる一方でした。その中で広大な寺領・神領を経営する立場にあった寺や神社はは、盗賊だけではなく、国府や権門・在地領主たちの武装勢力などに対抗するため、さまざまな勢力との紛争を抱えることになっていました。その紛争によって、境内と荘園の治安維持と他勢力への対抗のためから、他の荘園と同様に寺院・神社も武装する事になりました。

平安時代末期には強大な武力集団となりました。興福寺・延暦寺・園城寺(三井寺)、東大寺などの寺院を拠点として、寺院同士の勢力争いや、朝廷や摂関家に対して強訴(※3)をくりかえしました。特に、興福寺(南都)は衆徒(奈良法師)、延暦寺(北嶺)は山法師と呼ばれました。宗教的権威を背景とする強訴は、僧兵の武力以上の威力を持ちました。その強訴によって、しばしば朝廷や院を屈服させることに成功して、国府や他領との紛争などを自分たちにに有利に解決させてました。また寺社同士の抗争も激しくぶつかり合い、しばしば焼き討ちも行われました。その中でも、延暦寺と園城寺(「山門」と「寺門」)の抗争などが有名です。白河法皇は、自分の意のままにならないもの(天下の三不如意)として「賀茂川の水(鴨川の流れ)・双六の賽(の目)・山法師(比叡山の僧兵)」を挙げています。いかに僧兵の横暴が朝廷の不安要素であったか。ということがこの言葉からわかります。

中央から離れた地域でも、有力寺社は軍事力を持ったり地元軍事力と結びつきました。当時のパワーバランスに大きな影響を及ぼしていたことは間違いありません。以仁王(もちひとおう)の挙兵の時は、平家とも争いました。『平家物語』の武蔵坊弁慶(荒法師)などにも、その様子が描かれています。源平の争乱の時には、熊野水軍を取り仕切っていた熊野別当(熊野三山を統轄する役職)に対して、双方から政治的な取引がなされた例などがよく知られています。

室町時代には、かつて僧侶時代は義円と名乗り天台座主(※4)だった足利義教(還俗直後は義宣と名乗っていた)が、僧兵の軍事力と粗暴さを熟知していたため、延暦寺討伐に動き出して大規模の弾圧を実施しました。(後年の織田信長も同様のことをやる)

各地の有力寺社が軍事力を保持する傾向は豊臣秀吉による刀狩まで続きました。

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※1 嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)は、中国の河南省鄭州市登封にある中岳嵩山の中の少室山の北麓にある寺院です。インドから中国に渡来した達磨によって禅の発祥の地と伝えられて、中国禅の名高いお寺です。また少林武術の中心地としても世界的に有名。

※2 騎士修道会(きししゅうどうかい)は、十字軍時代に、聖地エルサレムの防衛とキリスト教巡礼者の保護・支援を目的として創設された中世のローマ・カトリックの修道会のことです。身分は修道誓願を立てた修道士で、騎士ではないという点が大事です。イベリア半島と東ヨーロッパでも、修道士たちが異教徒との戦いのために活動しました。

※3 強訴とは、仏罰・神罰を振りかざしながら武力も振りかざして、幕府や朝廷に対し自らの要求を通そうとすること。強訴が通らない場合には、神輿や神木を御所の門前に放置して、政治機能を実質上停止させるなどの手段に出ました。

※4 天台座主(てんだいざす)は、日本の天台宗の総本山である比叡山延暦寺の貫主(住職)で、天台宗の諸末寺を総監する役職で、「山の座主」とも呼ばれていました。

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戦国時代の有力僧兵団 その1

南部北陵

  • 興福寺・・・奈良法師と称された多数の僧兵を抱え大和一国を治める実力を持つことになりました。戦国時代には織田信長と同盟を結びながら、勢力を維持し続けました。宝蔵院流槍術(十文字槍)の開祖・胤栄なども有名です。
  • 延暦寺・・・天台宗の開祖・伝教大師最澄が開山しました。王城鎮護の霊山として君臨しながら、山法師と称された数千人の僧兵を擁し、力を権勢していました。1571年に織田信長による比叡山焼き討ちに遭い、軍事力を喪失しました。

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